ラトビア移住12年目。
 
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Valentina
ラトビア国立オペラでValentinaを観てきた管理人夫妻である。

ラトビア人作曲家Arturs Maskatsによるラトビア語の新作オペラのワールドプレミアであった。

第二次世界大戦時の話で、戦後ラトビアで映画歴史研究家として活躍したラトビア系ユダヤ人Valentina Freimaneの物語である。
リガで生まれ育ち、ベルリン、パリで過ごした後、リガに帰ってきて大戦に巻き込まれ、両親を失い、夫を失い、自身も身を隠しながら生き延びたのである。

ドイツ軍とロシア軍の狭間で、どっちに転んでも国の運命は悪い方向にしか向かず、それをどうすることもできない悲しみが表現されたオペラであった。

現代オペラは、兎角、不協和音を多用して予測不可能な耳障りの悪い旋律ばかりだが、このオペラはそれなりにアリアが認識できるぐらいにはメロディアスであった。

2幕目では、ちょっと退屈な部分もあったが、まあ、良い出来なのだと思う。
何より、新作オペラを作りだす、という部分ですでに素晴らしすぎなのだと思う。
クラッシックなオペラだけでなく、自分たちのオリジナルオペラを生み出すラトビア人のパワーというか、オペラ愛というべきか、に感心せざるを得ない。

ラトビア人作曲家による新作オペラのプレミア、ということで、観客も気合の入った身なりで、有名人をたくさん見かけたのであった。

このオペラを見ながら思ったのは、ママのことであった。
ママはユダヤ人ではなかったが、彼女も戦争とソビエトによる支配で多くのものを失い、尊厳を傷つけられ、それでも強く生き延びた一人なのである。



 
【2014.12.06 Saturday 21:14】 author : 管理人
| オペラ、コンサート | comments(7) | trackbacks(0) |
この記事に関するコメント
尊厳を傷つけられながらも強く生きのびたママさん…管理人さんによりもたらされた東方の異文化を全面的に拒絶するのでなく、自分自身で試してみて、良いと判断したものは取り入れる、そのしなやかで強靭な姿勢は、ママさんの過去を土台に培われたものだったんですね。

管理人さんとママさんのやりとりをまた読み返したくなりました。
| satoukako | 2014/12/08 9:17 PM |
何でも自国風にしてしまうのが得意な日本ですが、オペラは日本にとってはハードルが高い分野ではないかと思います。国立のオペラ劇場があるだけでも、ラトビアではオペラが支持されていることを感じます。

一緒に暮らした期間は短かったとはいえ、ちょっとした機会にお母さまのことを思い出されるというのは、何よりなことだと思います。どこの国でもあの年代が背負っているものは重いもものです。
| marako | 2014/12/08 10:40 PM |
こんにちは、satoukakoさん。
私もたまにママとのやりとりを読み返します。懐かしい思い出です。本当に、いきなりアジアン嫁との同居生活ですから、ママも大変な生活の変化だったと思います。今でも、脂が足りない、という声が聞こえてきそうです。

こんにちは、murakoさん。
日本人もオペラ好きが結構いるので、そのうちオペラハウスをドーンと建ててしまう、とかは、ないですね(笑)リガのオペラハウスは小さめですがなかなか派手な作りになっていて、気軽に雰囲気を味わえるのがいいところだと思います。
戦争の世代は本当に重いものを背負っていますね。最近ロシアが暴走してるので、明日は我が身にならなければ良いが、と思うこの頃です。
| 管理人 | 2014/12/09 2:48 PM |
ラトビアの老人はロシア時代からのロシア人たちも含めて、皆多かれ少なかれ二つの独裁体制の間で揉まれて、辛い日々を生き延びたのでしょうね。
あ、ソビエト時代に移住してきた人たちは別だろうと思いますが。
| 1qtaka | 2014/12/12 8:14 AM |
こんにちは、1qtakaさん。
まったくその通りですよね。誰もかれもが難しい時代を生き延びたのですね。そういう歴史のせいか、やはり国を思う気持ちがとても強く感じられます。頑張って守らないと無くなってしまう、という切実な現実なのでしょう。
| 管理人 | 2014/12/16 12:17 AM |
いやいやどうもご無沙汰でありました。
イヤちょっと旅行をしておりましたので…

しかし世界に百何十と国はあっても
独立した日を二ツ持っている、一つはドイツから一つはロシアから
そんな国は滅多とあるもんじゃ無い。

もう10年以上前ですがいまだにリガの国立墓地でしたか、無名戦死の追悼像中央の女神の慟哭を内に隠した哀しみの表情忘れられません。

苦しみと犠牲の上に今手にした自分の国、そんな意識が国をおおっていたのだろうと想像しますが『時はながれ人は変わる』と申します。
その変わって行く人の心をつなぎ止めようとするのが文学であり彫像でありオペラであるのかもしれない、などとチョト思ったりしております。
| さんさん | 2014/12/20 5:04 AM |
こんにちは、さんさんさん。
おっしゃる通り、人は変わっていきます。どんなに言葉で説明しても、その辛い体験はなかなか受け継がれないのだと思います。私自身、両親から戦後の貧しい時代の話を聞いても、ピンときませんでした。そうしてぬくぬくと育ったわけです。
ラトビア人はどうやって伝えていくのか、見ていきたいと思います。
| 管理人 | 2014/12/21 3:50 AM |
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