ラトビア移住12年目。
 
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待ち時間
毎日、せっせと放射線を浴びている管理人である。

既に2週目も終わろうとしているわけだが、これといった副作用は出ていない。
強いて言うなら、夜とてもよく眠れる、ということぐらいである。
これも放射線治療で疲れてるからなのか、単に季節的なものなのか、わからない。とりあえず、不快な副作用は現時点で出ていないのであった。

問題があるとすれば、毎日待ち時間が1時間ほどあることである。

有り余る待ち時間の間、最初は仕事関連の文献を読んでいたのだが、ふと、家にまだ読んでいない日本語の本があることを思い出し、今週からはそれを読んでいるのであった。

塩野七生の「ローマ人の物語」である。

現在、スペインからハンニバルがやって来て、イタリア半島で大暴れしているところである。

大変面白いので、もう待ち時間がすっかり楽しみな時間に変わってしまったのであった。

待っている他の人達はどうしているのかというと、
比較的若い人達は、用意してきた本や書類を読んでいることが多く、
男性はテレビを眺め、
高齢のご夫人達は情報交換に余念がない。

ただ同じ空間に座っているだけなのに、
日を追うごとに、人々は「いつもの面々」になり、
今日で最後の照射、という人の晴れやかな笑顔にココロで「おめでとう!」とつぶやき、
新しい人の不安そうな顔をみて、気の毒に、と思う。

もはや、管理人は大声を出さずとも、待合室に入って小さく挨拶しただけで、最後の人が手を挙げて、「アタシよ」と言ってくれるようになった。


【2012.03.01 Thursday 19:17】 author : 管理人
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引き続き放射線治療
本日は管理人が体得した、待合室サバイバル術をご紹介しよう。

待合室で順番待ちをするには、自分が誰の次なのか、という情報を聞き出す必要がある。気弱なアジアンには、大変高度な情報収集である、と言えよう。

まず、待合室に入ったら、入り口で皆さんの方を向いて、大きな声でご挨拶。

「ラブディエン!(こんにちは)」

この、大きな声でというのがポイントである。
待合室中の人に注目を促し、自分の話す言語を知らしめるのである。
人によってはテレビや世間話に熱中していて、人の出入りを関知していなかったりするので、待合室の全員に情報提供に協力してもらう必要があるのである。

そして、さらに大きな声で、

「サキエット、ルーズ、クルシュ、イル、ペーデーヤイス?」
(どなたが最後か教えてください)

と、はっきりと言う。
相手は高齢者が殆どである。そして、こちらはアジア顔の外人である。
必要なのは情報収集なので、聞き出す情報を明確に気迫をもって伝えることなのである。
テレビじゃなくて、こっちを見ろ、という気迫を込めて言うのである。

そうすると、最後だと認識している人がいれば手を挙げてくれたりするのである。
本人が認識していない場合は、周りの人達が、
「あの赤い人よ」
などと指差して教えてくれる。

そして、ここがさらに大事なのだが、最後だという人に

「ユース、エサット、ペーデーヤイス?」
(あなたが最後ですね?)

と、その人と目をあわせながら確認するのである。

これは、
1)ここにアジア顔がきたぞ
2)欲しい情報はこれだ
3)情報に間違いはないな
という作業である。
大きな声で全体と情報を共有することによって、
「アジア顔は赤い人の次」
という管理人の順番を確固たる揺るぎないものとする、という目的もあるのであった。

ふう。
こんなことを6週間も続けなければならない管理人であった。

【2012.02.23 Thursday 21:02】 author : 管理人
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放射線治療開始
今週から放射線治療が開始となった管理人である。

手術をした周辺に、眼に見えない様な癌細胞がある可能性があるので、予防的に放射線を当てて、そういった小さな癌細胞を叩いておくというのが目的である。

放射線は目にも見えないし、あたっても痛くも痒くもないので、放射線治療はただ寝転がっているだけ、というものである。ただ、患部のみに照射するために、体の上に目標座標を書き込み、毎回キチンと位置合わせをして照射する必要があるのであった。

先週、既に位置合わせ用のCTを撮り、昨日の照射初日はCTのデータを元に実際の照射装置での位置合わせ及び照射であった。

約束の時間に行って待合室で待っていると、名前を呼ばれて照射室へ案内され、位置合わせと照射、そして新しい座標軸の書き込みがなされたのであった。

が、しかし、翌日からはちょっと違うルールなのである。

名前は呼ばれないのである。

そう、日本では受付に診察券を出した時点で順番が自動的に決定されて、自分の順番は名前を呼ばれた時がその時なのだが、ここラトビアでは、処置にしても何にしても、番号札が配られない限りは先着順で、その順番は待合室でいちいち自ら確認しなければならないのである。

つまり、

「次の人」と呼ばれるので、自分が誰の次なのかを確認するのである。

待合室に入ったら、

「最後の人は誰ですか?」

と訊かないといけないのである。

本日、管理人はすっかり訊くのを失念してしまったのであった。

待合室にはものすごい人数が待っていてたのであった。どうやら午前中にトラブルがあったらしく、予約時間が大分ずれ込んでいたのである。

そんな状態で誰が最後かを聞かないと、実際自分の順番はすっかり分からなくなってしまうのである。そう、スタッフは誰も、順番を把握していないのである。何もしないでいると、永遠に順番は回ってこないのかもしれない。

かなり、1時間ほど待った段階でようやくその事実に気づいた管理人は、気が遠くなりながら、自分より前にいた人たちと後から来た人たちの顔を思い出そうと試みたのだが、さすがに無理であった。

結果、管理人より後に来て、隣に座っていた女性が、「次の人」という声に「ハイ!」と答えて照射室へ行ったのであった。

もちろん、管理人はかなりムッとしたのだが、怒ってはいけない。

3時間待ったうちのせいぜい5分かそこらの違いである。

明日は、かならず聞こうと思う管理人であった。
【2012.02.21 Tuesday 17:26】 author : 管理人
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病理結果
普通は病理結果が出るまでに2−3週間かかるのだが、病理部門もお友達なので、超特急で解析してもらった。

ステージ I
Mitotic Index: low
異形成度:中程度
大きさ:1.1cm、しかし、腫瘍の中心部分はアデノーマで、がん細胞ではなく、アデノーマの外側を覆うようにがん細胞があった、ということで、実際はもっと小さい。
断端、皮膚、ともに陰性。

T1N0M0

ER: 93%
PR: 87% 
Ki-67: 8%
HER2 + (陰性)
ということなので、Luminal A

Core biopsyで採った時のサンプルとほぼ同じ結果。
病理の説明によると、ホルモン感受性はほぼ100%と同義。
HER2に関しては、Core biopsyのサンプルは往々にして組織がぎゅっと詰まっている事が多く、HER2の染まり具合が密に見える傾向があるのだそうで、術後の病理でHER2はダウングレードする場合が多い、ということであった。

病理が出たので、治療方針を決めるのだが、まずはどのような治療が最適か、というような事を会議で決めるのだそうな。この、治療方針会議は主治医を含む外科チームとケモセラピストチーム、放射線医師 そして、遺伝性がありそうな場合(BRCA変異等)はgeneticistを交えて決めて行く。

治療開始は術後1ヶ月弱ぐらいから、ということである。
 
【2012.01.18 Wednesday 12:54】 author : 管理人
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術後、そして翌日
 手術後、2時間程眠って、さすがに朝から何も食べていないのでお腹がすいていたので、電話で旦那を呼んだのであった。

「おー、大分人間っぽくなったな」

人間の回復力はすごいものである。

胸は痛いのかどうだかわからない。というのも、止血用にぐるぐる巻きに圧迫されていたので、その方が気になっていたからである。それとも麻酔が効いているのか?いやはや、そんなはずはない。こうして起きているではないか。

ふと気づくと、患部から小さなドレーンがぶら下がっている。これもすぐ取れるのだろう。

ともあれ、食欲は何にも勝る。ぐるぐる巻きでもお腹は空くのである。
もうソロソロとは動けるのだが、せっかくなので旦那をあごで使わせてもらう事にした。持ってきてもらった食事を食べさせてもらった。ありがとう旦那。旦那はその後仕事に戻って行った。

その後はインターネットで暇つぶしである。

我が病院は素晴らしい事に、病室がWiFiカバーされていて、しかも無料なのである。全くありがたい事である。

看護婦さんが入れ替わり立ち代わりやってきて、痛くないかと聞いてくれる。痛くはないのだが、鎮痛剤を薦めるので、錠剤タイプのものをもらう事にした。
夜11時になって、ようやくグルグル巻きから解放された。

翌朝、主治医がやってきて、一緒に処置室へ行ってドレーンを抜き、傷の状態を見てくれた。しばらくは胸の下側の方に水がたまった感じがするかもしれないが、それは普通の事で、そのうちに吸収されて無くなるから、ということであった。

患部は凹んでいた。主治医はなんとか平らにしようとがんばったという事であったが、
「どこからも持って来るものが無くてね」
と、申し訳なさそうであった。それを見て管理人は笑ってしまった。
管理人は大変小さな胸の持ち主である。あえて貧乳とは言わない。
貧乳などと自ら言うのは、生んでくれた親に対して失礼だと思うからである。
まあ、それでも、とにかく元々が平らに近い胸であることには変わりない。
ここラトビアで、普段はスイカサイズの豊かすぎる程の胸を相手に手術をしている主治医には、大分勝手が違った事であろう。
「でも、プラスティックサージェリーで胸の形はどうにでもできるから、心配いらないよ」
という事であった。
胸の形をどうするのかは、また後でゆっくり考える事にする。

ともあれ、今日は旦那の仕事が片付いたら退院である。

夕方まで暇つぶしだなあ、と思っていたところへリハビリ部門の技師がやってきた。
英語で、はにかみながら、痛くないかとか、腕は上がるか、とか質問して、何か問題があったら、どんな些細な事でもいいのでリハビリ部門を訪ねてくださいな、一緒にリハビリしましょう、と言って去って行った。

しばらくして、今度は physiotherapy の技師がやってきた。
やはり英語で、しかし、ハキハキと話す人であった。手術後はすぐにこういう運動をしてください、と肩を回したり、腕を上げたりといった10数種類程の簡単な動作が描かれた手作り感あふれるプリントをくれた。各動作数回をゆっくりと一日4−5セットづつ。問題がある場合はリハビリ部門を訪問するようにということであった。

「えっと、筋肉は切ってないんですが、きっと重いものとか持たない方がいいですよね?」

という管理人の問いに、

「3キロぐらいまでは大丈夫よ。だいたい私たちは女性なんだから重いものなんて持つ必要ないしね」

という答えであった。3キロは十分重いような気がするが、まあいい。旦那には後半部分のみを伝える事としよう。

その後もただダラダラと過ごしていると、実に色んな人が病室を訪ねてくる。
午後4時から病人のためのお祈りがありますから、是非来てくださいね、という教会関係の人、管理人が退院したら病室の掃除をしてしまいたい掃除のおばちゃん、ご飯ができたよ、という賄いのおばちゃん、そして、センチネルリンパ節の検査の時に一緒だった80歳のおばあちゃん、である。

この80歳のおばあちゃんは、管理人と同じ日にやはり乳がんの手術をしたのであった。センチネルリンパ節検査の待ち時間の1時間をおしゃべりして過ごしたのだが、また、いつものように

「まあ、こんなに若いのに気の毒にねえ、私は80歳だからいいけどね」

と自らの年齢を言い出すので、ああ、また言わねばならないかと

「あ、私はそんな若者じゃないです。46歳です」

と言うと、

「日本人は長生きなんじゃないね。年を取らないんだ。。。」

とかなり驚いていたのであった。
その他、色んな話をした。

ともあれ、おばあちゃんはラトビア語を話す若作りの日本人にお菓子でもあげようと、病室を探していたのだと言う。
「あんたはいい人だから、ほら、食べなさい」
と、甘いもの断ちをしている管理人にチョコレートコーティングした巨大マシュマロをくれた。美味しかった。

そんなこんなで、暇つぶしどころではなく、あっという間に退院であった。

家に帰るとママが鮭スープを作って待っていてくれた。
旦那がマメに何でもやってくれて、上げ膳据え膳であった。

さて、ラトビアでは普通の有給休暇とは別に、病気療養休暇というものがある。
これは、医師による病気療養証明を添付して提出すると、有給の休暇が取れるというものである。通常、病気療養休暇は年に1週間取る事ができる。日本のようにまずは有給休暇を消化してから、ということはない。
ということで、今回は病気療養休暇1週間を取得で、月曜日まで家でのんびりする予定である。


【2012.01.13 Friday 12:01】 author : 管理人
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手術室
手術室は別棟にある。
元気であれば看護婦さんの引率のもと、自力で歩いて行くのである。

が、管理人はひどい近眼なのに、眼鏡は置いてけ、というので車いすで移動であった。

旦那に見送られ、手術室に入り、ヘアキャプをかぶり、自ら手術台によじ上る。
大勢のスタッフが忙しそうに体を固定し、点滴をつなぎ、血圧や脈拍の測定器などを装着して行く。

「あれ?麻酔は点滴で入れるんじゃ?ってことは既に麻酔に入ってる?そういえば、点滴つないでるのは昨日の麻酔医じゃないか。うーん、断りもなく麻酔しやがってー。つか、血栓防止用のマッサージャーとかつないでないし。手術時間が短いからいらないのか。。。」

と思ったところで、もやもやもや、と眠いような感じがして意識がなくなったのであった。

意識が戻ったのも手術台の上であった。
皆さん、後片付けに大忙しな感じであった。

胸は痛くないが、のどが痛い。酸素のせいであろう。
手術台に腰掛けた状態で、止血用のパッドを添えられて患部をギュウギュウ巻きにされたのであった。
そして、ストレッチャーで病室に運ばれると、旦那がいた。
ストレッチャーから病室のベッドへの移動は自力であった。
意外にどこも痛くないのだが、動かしてみるのはちょっと怖いのであった。
主治医がやってきて、
「もう、自由だよ。水飲んでもいいし、2時間経ったら食べてもいいよ。自力でトイレに行ってもOK!」

ということなので、眠気もある事だし、とりあえず眠ってから何か食べることにした。
起きたら旦那に電話すれば、オフィスから3分でやってきてくれる。大変便利である。

しばらく寝て起きて、試しに自力で立ち上がってトイレに行ってみたところ、全然OKであった。

後から聞いたところでは、フィブロアデノーマの病理検査には何も悪い兆候はなく、単なるフィブロアデノーマだったので、マージンなしで取り出しておいた、とのことだった。
【2012.01.11 Wednesday 20:19】 author : 管理人
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手術直前
ちなみに、今回も個室でマッタリさせてもらっている管理人である。

手術前夜寝る前と手術当日の朝に飲むように、と看護婦さんから錠剤が2セット渡されたのであった。

「明日の朝は6時半に起きて、顔洗ったりシャワー浴びたりして、その後にこの錠剤を飲んでくださいね。それ以降は水も飲んじゃダメですよ」

看護婦さんは謎に細かい指示を出すのであった。

「あー、ところで、手術の時に着ていくシャツはある?」

どこの世の中に自前のシャツを着て手術に挑む者がいるのだろうか。ラトビアルールか?そんな考えが頭をよぎるのだが、そこは正直に「ありません」と答えておく。真実は何よりも強い。

「あなた、その格好で寝るの?」

看護婦さんの言う、その格好というのは、Tシャツにジャージの上下である。実際、管理人はTシャツのみで寝ようと思っていたのだが、面倒くさいので「そうです」と答えておいたのであった。すると、

「それじゃ、手術用のシャツ持ってくるから、それを着て寝るといいわ。その方がラクよ。それで、明日の朝はそのシャツのまま待機してくださいね。」

と、手術用シャツを持ってきてくれたのであった。
それは、全く手術着というべきもので、これを持っている普通の人はいないなあと思った。

さて、その後、言われるままに錠剤を飲んで眠ったところ、まあ、手術前夜だというのに熟睡である。

看護婦さんが起こしてくれるんだろう、と思いつつも念のために目覚ましをセットして置いたのだが、翌朝、全く誰も起こしに来ることはなかったのであった。

看護婦さんの前夜の指示通り、身支度をして薬を飲んで、手術用シャツのままベッドの上でネットサーフしていると、看護婦さんが薬をのんだかどうか確認に来たのであった。

そして、何故だかとても眠くなって、二度寝である。
9時前に旦那がやってきたのだが、ものすごく眠い。

そう、あれは抗生物質と睡眠薬だったのである。

手術前の不安な時間を、眠らせて解消、ということなのであろう。
いやはや、おみごと。
手術直前までぐっすりである。
午前11時、お迎えがやってきて、手術室へとお出ましである。
【2012.01.11 Wednesday 19:51】 author : 管理人
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